私の作品は、鉄という物質を使って物質の持つ意味や役割、手触りなどを再認識させる事が最大のコンセプトである。
作家活動の当初から現在まで継続している作品は非常にシンプルで、「鉄で鉄ではないものをつくる」事である。 そのコンセプトのきっかけとなった作品は、友人の結婚式に装着する為に制作した鉄製のネクタイ、"bulletproof tie"。かなり精巧に作ったので、装着して電車に乗り込んでも誰にも気付かれないというシロモノだった。もし誰かしらがその違和感に気付いたとしても、確証が持てないので話し かける事も出来ないのであろう。私の静かな高揚感がそう感じさせただけかもしれないが、得体のしれない視線を幾つか感じたのである。電車という公共空間において、私は明らかに変人であったが、騒ぎも起きずにその場に存在する事ができた。そのごく個人的な事件から 3 つの事が明らかとなった。
1 つ。人は他者に興味を持たない。興味がないので「あの人はネクタイをしている」という認識に到達しない。
2 つ。人は ” 観る ” 能力に乏しい。「あの人はネクタイをしている」事に到達したとしても、 「ネクタイは布で出来ている」事が当たり前であるという認識から逸脱する事は困難である。
3 つ。コミュニケーションが苦手な人のなんと多いことか。現代日本人に多くあてはまるであろう。 「鉄で出来ているネクタイ」の発する違和感に気付いたとしても、そこから確証につながる行動が 能動的にできないのだ。1 つ目の事柄も大きく関わっていると思われる。
私は、「鉄で鉄ではないものをつくる」事となった。作品を通じて先の3つの事柄を検証していく事が、 現代社会のヴァーチャルな感覚に対しての対極な意見としてだけではなく、逆説的な親和性を得られると確信があったのだ。 理屈を除いても、 鑑賞者が「鉄である」事に気付いた時の驚嘆した様子、物質を強烈に認識させたという実感が兎に角気持ち が良かったのである。
このような経緯から「鉄で鉄ではないものをつくる」事がスタートした訳であるが、今でこそ工芸的で技術的な作品を散見するものの当時はなかなか受け入れられず、苦しい時期が続いた。そして、勉強の為にと数多のギャラリーやアートフェアに足を運ぶとあ る違和感を憶える。「絵画」が異常なほど多いのである。
よくよく考えれば、60 年代、70 年代に過激なパフォーマンスを繰り広げていた反芸術の大家も絵画表現に帰結した。 世界を代表するアーティスト、草間弥生、デミアンハーストだって。やんちゃで過激な発言のその裏側でしこしこ真面目に 絵を描いている。( 本人はおそらく描いていないだろうが ) それは何故か。
アートフェアやギャラリー、売買を目的とした現場としては至極当然の事であるが、製品として売りやすいからというのが一つの理由としてあるだろう。それが 収入として成り得やすい媒体であるから。勿論芸術の歴史から脈々と受け継がれた王道としての「絵画」という表現は、芸術文化に於いての重要なテーマとして理解はしているのだが、絵画至上主義を突きつけられたような心持ちになり、当時の私は酷く苛立ち、絵画に対してコンプレッ クスを強く抱くようになってしまったのである。
憎き絵画の事を深く考える事は、私の作品に大きな影響をもたらした。絵画とは時空を再現する事が根源的な役割であると仮定するならば、そこに孕む象徴性と仮想性は虚偽と誇張の歴史。それは間違いなく今日的な氾濫するヴァーチャ ルイメージの礎になっているのは自明である。ところが、その扇動的なヴァーチャルイメージを支えるのは木枠と画布と絵の具の積層というシンプルな物質である。ちょっと寄掛かり過ぎではないだろうか。当たり前の事であるがなにか腑に落ちないのである。
それならばと。木枠に薄い鉄板を画布のように張り、持ち前の板金技術で折り込み、 鉄のキャンバスを制作した。「あれ?もしかして、鉄 で出来てる?」と気付くヒントとして鉄の絵を描いた。ボンベ、バケツ、釘、鉄球、マンホール等々である。
鉄に鉄の絵を描く事は、鉄という素材の持つ圧倒的な存在感、現実性と、平面イメージの持つ象徴性、仮想性を混濁さ せる事と同義である。フォンタナの「空間概念 期待」や、マグリットの「これはパイプではない」といった直接的に物質を 問いかける作品(解釈は千差万別だろうが)よりも複雑な構造を持つ作品であると自負している。
数多あるアートフェアにずらーっと並ぶ絵画の中に 1 枚位よいのではないだろうか。絵画然としている鉄があっても。