茶碗は、言わずと知れた茶を飲む為の器で、多くは陶器製である。茶碗に直接抹茶粉末を盛り、茶釜から湯を入れて茶筅で撹拌して一服の茶は出来上がる。
私の茶碗はしつこいようだが当然鉄である。鋳鉄の茶碗完成後に早速茶を点てると、ギラリと磨いた鉄に鮮やかな抹茶の緑が栄える。ぐっと一口飲むと中々に美味い。しかし茶を楽しむのも束の間、茶碗に残った茶はみるみるうちに黒く変色していくではないか。恐る恐る黒く変色した液体を口に含むも強烈な鉄味と臭気が鼻腔を襲う。岡本太郎の語を拝借するならば「なんだこれは...」と。
のちに調べてみると、茶に含まれるタンニンという成分は鉄と反応し、タンニン鉄に変化する。それが皮膜を形成し黒色になる。防錆効果があり、且つ人体には無害なので、茶釜を仕上げる際に、茶で煮込んで黒く色付けする事もあるのだという。
無害だと知ってニヤリとした。私の茶室は、視覚、触覚にも飽き足らず、味覚、嗅覚にまで鉄を突きつけるのだ。素晴らしい。外国人の方 には初めに言っておかなければならないだろう。私の茶はクレイジースタイル であり、本来の茶はもっと美味い。
鉄茶碗を作るにあたり鋳造の型となる茶碗を探すのだが、実家に転がっていた志野焼茶碗を見つけた。普遍的ないわゆる茶の湯って雰囲気の楽焼風筒型茶碗でなかなか気に入った。母に聞くとまぁまぁ古いもので あるらしく、私が幼少の頃からそこにあったのだと思うと不思議である。探し物はずっと近くにあったのだ。何やかんや言う母から奪い取るようにその茶碗を持ち去った。自分のルーツが込められた良い茶碗ではなかろうか。
新たな鉄茶碗をということで数多の茶碗を見るのだが、脳内に浮かぶ理想の恰好にぴたりと嵌まった茶碗を見つけて本当に驚いた。「喜左 衛門」という銘を持つ茶碗である。調べてみると、茶碗の歴史の中でも一番の大名物であり国宝にも指定されている。一見して薄汚くみすぼらしい茶碗なのだがそれもそのはずである。この茶碗は朝鮮で大量に生産されていた日用雑器の、更にその中でも失敗作として生まれたのであった。当然安物雑器の職人なんぞ遥か時空の彼方、作者不詳の逸品なのである。まさに「侘び」の化身たる名碗。私の脳内に「喜左衛門」の姿があったのは、過去どこかで目にしたのかもしれないしそうではないのかもしれない。しかしこの名碗を純然たる日本人の美意識の最たるものと感受した事は間違いない。私は未熟で茶碗のことはよくわからない。しかし、この「喜左衛門」に敬意を表し恰好だけでも真似る事が出来ればと思うのである。